バングラデシュとベンガル語
先日2月21日はバングラデシュでは「言語運動記念日」として祝日でした。
また同時に1999年よりユネスコが制定した「国際母国語デー」となっています。
時は1952年、かつてバングラデシュが東パキスタンと呼ばれ、現在のパキスタンと同じ国であった時、パキスタン中央政府が、東パキスタン地域(現バングラデシュ)にも、西パキスタン(現パキスタン)にならいウルドゥ語を公用語にするよう求めました。
ベンガル語を日常会話とする東パキスタン(現バングラデシュ)の人々は学生を中心にして、それに反対。
大規模なデモ集会が開かれます。
パキスタン中央政府は治安維持のために警察隊を送り込み、その衝突の中で何人かの学生が命を落としました。
その後、その言語運動がもとになり東パキスタンでは「独立運動」が始まり、やがてバングラデシュとして独立することになります。
「命を懸けて母国語を守った」
このような経緯もあり、バングラデシュ人は自国の母国語に対して深い思い入れがあります。
我々日本人は、当たり前のように「日本語」という言葉を使っています。
しかし日本という国は第二次世界大戦での敗戦以前、他国に侵略されたこともなく単一民族で同一文化を育んできた稀有な国家です。
このような国は世界的にみても本当に珍しい事であり、それゆえに日本人にとっては、「バングラデシュ人におけるベンガル語」への愛着がピンとこないかもしれません。
またバングラデシュ自体も、若い世代はテレビから流れるインド文化、ヒンディー語も慣れ親しんでいます。
しかし彼らの心の奥底には、しっかり「ベンガル語」という言葉が刻み込まれている事を忘れてはいけません。
「バングラデシュとベンガル語」
今後バングラデシュとかかわっていく方には、このキーワードはバングラデシュ人のメンタリティにおける重要な部分を担っていることを知ってた方が良いと思われます。