バングラデシュのコルバニ・イード(犠牲祭)について
少し時間が経過してしまいましたが、バングラデシュをはじめ、イスラム諸国では「犠牲祭」と呼ばれる祝祭が開かれました。
この祝祭は、先日の「断食明けの祝祭」と合わせて2つがイスラム諸国の最大の行事になっています。
日本でいう「盆と正月」という感じに近いかもしれません。
ただイスラム諸国ではこの2つの祝祭の間隔が2か月ほど。
あっという間の2大祝日です。
双方の祝祭は「Eid(イード)」と呼ばれますが、今回のEidは通称「コルバニ・イード」とバングラデシュでは呼ばれています。
牛やヤギなどを神様に捧げる祝祭であり、これはイスラム教・キリスト教に共通したあるストーリーから来ています。
イスラム教とキリスト教を併記したのですが、実はこの2つの宗教は同じ神様を崇める兄弟のような宗教です。
ついでに言うとユダヤ教も同じ神様を崇めている兄弟宗教に当たります。
この3つの宗教がいう「神」は同じものであるわけです。
ユダヤ教に疑問を持ったキリストが普及させた教えがキリスト教、またその2つの宗教がありながら最後の理解をした宗教がイスラム教という解釈になり、イスラム世界ではキリストもモーゼもノアもすべて神の言葉を皆に伝える「預言者」という位置づけになっています。
さて回り道しましたが、今回の犠牲祭のストーリー
神は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通する聖典の始祖アブラハム(イブラーヒム)の「神への忠誠心」を計るため、「お前がもっとも大事にしているものを私に捧げなさい」と言いました。
アブラハムは悩みに悩んだ末、息子のイスマイール(イシュマエル)を神に捧げようとしました。
まさにイスマイールに父アブラハムの刃がかかろうとしたときに、神がアブラハムを制し彼の忠誠心を再確認。
イスマイールの代わりに牛orヤギを捧げる事で身代りにした、という物語だったように思います。
「神を試してはいけない」というのはこの聖典の3宗教の大きな教えのはず。
しかしなぜ全知全能である神は人間を試すのか大きな疑問ですが、どちらにしてもこの故事に基づいてこの犠牲祭は行われています。
実際の犠牲祭は、一般の日本人にしてみたら非日常の景色に移りますが、日本でも必ずどこかで牛などは屠殺され我々の口に運ばれています。
そういった意味では、イスラム教でない我々も「日ごろ美味しいお肉を提供してくれる牛達に感謝する機会」という意味で、それなりに厳粛に受け入れても良いのかもしれません。